001

 テューレ島に住む青年アリアスはその日何かに呼ばれる――そんな気がした。それだけであったが、そういう勘というものはだいたい当たる。そして今回も漏れずにそうだった。
彼が住みついてる神殿に珍しい客人が訪ねてきていた。かの国の春を象る薄紅の羽衣に淡い色合いの着物を身に纏う稚児姿。きちんと切り揃えられた縹色の前髪に大きくも切れ長の瞳は東雲の刻を聯想させる幻妖な色彩だった。やたらとあたりをキョロキョロと忙しなく動いて落ち着かない珍客にアリアスは静かに近づいた。
「イザナ様がこんなとこに何の御用で?」
「ひっ!? 驚かせるな!!」
普通に声をかけたつもりだったのだが――なんでそこまで大袈裟なリアクションをとれるのかとアリアスは思う。わたわたバサバサと両腕を振り回し、飛び上がった後は過度な呼吸で両肩を上下させ、紅潮した頬、見開かれた瞳には薄ら涙を浮かべている。傍から見れば、まるでいわれない仕打ちを受けた哀れな子供みたいだ。こちらが悪いことをしたか、いや、自分は何ら悪いことはしていない――妙な罪悪感に囚われそうになったアリアスは自身に言い聞かせた。イザナという幼子が平静を取り戻すまでアリアスは腕を組んでぼんやりと呆れてみていた。奥行ある色合いの双眸がゆっくりと瞬く。意を決して、イザナは口を開いた。
「あのな、我が大君のな、のな……」
「あの剣姫がどうしたんですか?」
「いや、その姫が……か―――されたのでな」
白色に染まった自身の長い髪を一房梳きながら、アリアスはどうでもいいと言った態で、
「その、姫……ん? ああ、娘の方ですか? あのやたら威勢だけはいい。ついに何かやらかしたのか?」
と溜息雑じりに聞く。すっと一息ついてから勢いよくイザナは叫んだ。
「だから! かどわかされた!!」
「はあ……は?」
アリアスは動きを止め、ちらりとイザナを怪訝に見やる。本人にそのつもりはなくとも射抜くような鋭い視線にイザナは縮こまり、再びその大きな瞳が潤んでいく気がした。
「あ……大丈夫ですから、ちゃんとわかるように詳しくお願いします」
額から目を覆い隠すように左手をやってアリアスは大いに悩んだ。そんなアリアスを窺いながらややあってイザナは小さな声で、
「アリアス、すまない。我が不甲斐なくて」
「いえ、お気になさらずに。ところで、始めに聞いておきますが、そちらの剣姫は事態をどう捉えているんですか? ここまであなたが出向いてることとか」
僅かに顔を歪ませ、俯くイザナ。言われずともその先の答えを察したアリアスは大きく息を吐いた。
「その……いや、我が勝手にここに来てしまったから、何とはわからない」
「わからないって、それでも貴方は、一国のか……」
「我はあまり大事にしたくない、争いごとになったらと考えたら」
悲痛なまで弱弱しい声にアリアスは出かけた言葉を飲み込んだ。
「笑われるだろう、でも今はそういうことできる力はないと思う。争いになって、もしものことがあったら均衡が崩れるだけではすまされない。誰もカイオスの二の舞にはなりたくないだろう」
訴えかけてくる彼を真っ直ぐ見据えてアリアスは静かに頷いた。
「わからないでもありませんが、ここはそういうのには無頓着なところですよ。イザナ様、あなたとあちらが殺し合いになろうと……」
「我は望まない。穏便にすましたいのだ、連れ帰してくれるだけでいい」
「いっそ一人くれてやればいいのでは?」
ぴしゃりと言い切った。イザナは大きな眼で目一杯睨みつけながらも何の反論もしてこない。構わず、続けた。
「それで万人が平穏でいられる。どういうつもりかはまったく見当がつかない誘拐なのでしょう。調べたんですか? ちゃんと申し入れしたのですか? 正々堂々、交渉してやってください。自分が頼めば私めが無言で肯くと思ったのです? 便利屋扱いもいい加減にしてほしいのですが」
アリアスはひゅっと息を呑んだ。眼前のイザナはもう震えてなどいなかった。
「アリアス、我が何もなしに頼んでいると思うのか」
如何様な姿であれ、この稚児が人を超えた存在であるということを周りを囲った空気が伝えてくる。
「わかってるから、全て承知の上でここにきた」
そして、真っすぐ今一度強く「頼む」と念を押すように言った。



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