◇ ◇ ◇


「リーはさあ」
その吐息まじりの気怠い声も、そのあとに続くであろう台詞もリーは大嫌いだった。
「王様にならないの?」
知ったことか。そんなことどうでもいいことだろう。
「ねえ……なれないの?」
今日も特別日差しの強い日だった。日曜の集会にも辟易していた。剥き出しの岩は履物をしてても歩くことさえ困難だった。涼を求めて、洞窟に集まるのだが密度が高まれば、居心地など悪くなるに決まっている。それでもそこにいるしかないのだ。外の赤茶色の岩石は十分なほど熱されており、そこで呑気に日光浴をしようものなら網の上で焼かれる肉の気分を味わえるであろうというほどに。こんなのが数日続いていれば、みな気が立ってくる。それはもう、数少ない日陰を求めて暑さに強いうえに温厚だと云われる小さなトカゲすら道端で争っていたくらいだ。
リーもみな同様日陰に避難して、足を交差し抱えて、おとなしくその日、太陽が傾くのを待っていた。
「王様がどうにかするべきだとボクは思うんだよね」
(知ったことか。俺にいってもなんにもならんだろう。当人に言え、当人に)
「こんなにみんな困ってるのにさあ」
辺りに目を遣ってみたが、そんなに困った顔は見当たらない。むしろ、眉間に皺が寄ったり、赤くしたり、怒り顔が多いぞ――リーは心の中でほくそ笑んだ。
「またムッツリと変な顔してないで」
(この顔は元からだ)
「もしかして変なこと考えてる?」
顔を覗き込まれそうになってリーは仰け反った。
「図星?」
「そんなわけないだろ。そうされたら誰だってこうなる」
「そうかな?」
「そうだ」
キッと睨みつけるリー。立ち上がって今度は壁に寄っかかって腕を組んだ。
「ねえリー、リーから王様になんか言ってよ」
「五月蝿い」
言い放ってその場を離れようとした。が、腰布を引っ張られて止まった。
「危ないことするな」
「だって逃げようとしている」
リーは大仰に舌打った。ここぞとばかりに彼はリーに迫る。
「図星、図星」
「そもそも何故わたしに言う」
「だってリーは強いから」
そこか、それしかないのか。なんの迷いもなくまっすぐそういい切る彼にリーは複雑な眼差しを送った。
「それだけか」
彼は信じられないことを言われたかのように目を見開いて、
「それ以外になにがあるの?」





ここは力がものいう。それがすべて。強ければ偉くて、弱いのは悪い。とても単純な世界。それが竜人の社会だ。竜人とは竜と人、二つの姿を持つ種族だった。竜の姿はとてもない力を持つ。ただし、そちらの姿でいるのは力と比例して労力がかかるので普段は人の姿でいることが多い。そして、その人型であるときは竜型の名残として角や宝石が額にあることが特徴だった。これもある意味、力の象徴でもあった。





 額から生える灰水晶の立派な一角。灰色の剛毛に金の目。大柄というほどではないががっしりとした強靭な身体。リーは見た目から強者を纏っていた。腕っぷしで負けたことなどない。だからこの邦では一目置かれていた。
「卿はいかが考える?」
どうにか帰宅すると、リーの元にエルが訪ねてきていた。彼女はリーの従兄妹で、幼馴染であった。額には翡翠の玉が埋め込まれている。その玉を同じ翠色をした大きな瞳をリーに怪訝に向けていた。
「いかが考えるって何も。考えたことない」
「卿の答えは不変だな。なにを聞こうと毎度それしか出てこん」
呆れた物言いをして、腰に手を当てる。
「もう少し工夫したほうがいい」
「そういう貴様もいい加減学習しろ。一々、聞きにくるのは物好きか」
「自覚してもらわんと困ることがある。あたしの身にもなってみろ。周りからことあるごとに卿の話を振られる。そのためにも卿の考えをだな」
「いい加減のその勝手な周りをどうにかしろ」 「リー。あなたから言えばいいじゃない」 一度、頭を振ってリーに詰め寄る。
「だいたい! 逃げてばかりの卿が偉そうに! あのとき何があったか知らないけどね、少しは力ある者だという自覚を……」
大きな音がした。エルの言葉を遮るように勢いよく窓が開き、
「あれ? お取込み中だった?」
やや神妙な間があって、
「いや大丈夫だ、カフ」
リーが答えた。





 ちゃっかり家に一つしかない椅子を占領したカフは延々と続きそうなリーとエルの小言合戦を――エルの一方的にも見える――じっとり見守っていた。額の紅玉がキラキラと金色の双眸以上に彼の好奇心を表してる。くすんだ赤銅色の乱髪にくっついている彼の小さな相棒もキョロキョロ。
「ねえねえいつまで続けるの」
何度も漏らした科白はやっぱり今回も届かないらしい。最初こそは面白味が勝っていたが、もう流石に飽いた。
「大丈夫ってなんだったんだよ、阿呆」
ぼやいても反応はない。もはや、一方的に口撃を受けているリーは怒るわけもなく、どこか悲しけに見えた。
「あんな感じなのかな、いつも」
頭に乗っかる碧いトカゲは彼の肩まで降りてきて、ちょびっと吠えた。
「そうか、そうなのか。なんか嫌な感じだな」
肩を落として、ソファで少し昼寝することを決めた。楽しい時間が過ごせると思って、久しぶりに家を訪ねてやったのに、と。





 涼しくなってきた橙色の空で鳥が家路に急いでいる。
 エルをどうにか追い出したリーはなんともいえない脱力感に襲われて、休もうとして、ソファを陣取る影に気づいた。そして、彼の存在を思い出した。間抜けた面でスヤスヤと眠るカフとその頭で目を潤ませてる小さなトカゲ。視線で必死になにかを訴えているようだが、リーにはそれを汲み取る気はなかった。
「腑抜けた面してないで起きろ」
頬を指でつつく。おもむろに身じろぐカフを見て一笑。
「もうお前も一緒になって寝てろ」
トカゲの額を指の腹で優しく撫でてて、リーはその場をそっと離れた。





「なんで起こしてくれなかったわけ!?」
カフの怒りはリーではなく彼の小さな相棒に向いていた。トカゲも黙ってられなかったのか、四つん這いになり鼻息荒く威嚇のポーズ。家主を無視して繰り広げられている戦いの決着は案外あっけなく終わりを告げた。
「メシ出来た」
リーの言葉に笑顔が生まれる。一度、顔を見合わせると頷き、揃ってさも当然の如くちゃかちゃかと配膳を手伝いはじめた。香草と干した肉を煮込んだスープに蒸した芋。もちろん、ちゃんと3セットある。
「いただきます!」
掛け声を合図にがっつく眼前の客人にリーは微苦笑。
「ところでどうして来たんだ? あ、やめろ、俺が悪い、食べ終わってから話そう」
ふごふご、と食べ物を口に入れたまま喋りだそうとするカフをリーは必死に制止した。





食事中は無言だった。食器の音だけが鳴っている。そこに割って入る音が響いた。食器なんて比ではない、巨大で硬質なもの同士がぶつかり合う音。驚きで食事は中断される。
「なに?!」
目を真ん丸にして落ち着きをなくすカフに対してリーは一点をねめつけた。ナフキンで口を拭うと机上に叩きつける。すくっと立ち上がり、出て行ってしまった。残されたカフはオロオロ とトカゲを懐に入れてから後を追った。





外へ出れば、纏わりつくような熱気と不快な匂いを孕んだ砂塵が視界を覆っていた。リーは咄嗟に小柄なカフを庇うように立ち、カフは懐を守るように身を屈めた。リーは深く息を吸う、灰水晶の先端が刹那赤く煌めいた。カフはそれを合図に耳を、眼を必死に閉ざした。リーが号んだ。強烈な咆哮が辺りの砂塵を容赦なく払う。熱気だけは残った。黒い煙を逃がすため、リーは浅い呼吸を何度も繰り返していた。薄らと開いた口からちらつく鋭い犬歯はまだ凶暴な紅い煌めきが宿っていた。カフはそっとリーの背中を撫でた。そうしてやるべきだと思ったからだ。カフ達の足元に幾つもの石が転がってきていた。力を誇示すること嫌うリーが突然咆哮するに及んだ理由はきっと。視界が明らかになってきた。リーの家の前は拓けた原になっているが、ボロボロだった。また新しい疵が増えていた。対峙している二つの大きな影がこちらを向いていた。双方とも竜型だった。黄土色とダークグレイの、岩石のような肌を持った逞しい姿だった。一拍置いてから、二体の竜は転身して人の姿に戻った。こちらに向かって歩いてくる。黄土色の竜だった青年は物凄い形相で睨みつけ、ダークグレイの竜だった彼はどこかニタニタと笑んでいる。リーは黙ったままだった。気分が悪いとカフは表情を歪ませて、
「なにか御用ですか?」
「何も」
黄土色が素っ気なく答えた。
「何もってことはないだろう、スクウ」
ケラケラとダークグレイのほうが口を開く。黄土色――スクウは黄土色の髪に翠の目をしていた。角はなく、額に乳白色の宝石が埋まっている。一方、ダークグレイの青年は灰色と茶色、黒が混じった長髪を緩く結び、垂れがちな桃色の双眸、墨色の角は先端で二つに分かれている。
「俺はこいつには何も用がなかった。用があったとすれば貴方だ、はいファナテ言って」
「えー僕ですかあ。こういうのは言いだしっぺが、最初に提案したのはそっちだと記憶してたけど」
「違う」
「あーあ違ったかあ、間違えたかあ」
スクウの玉から蒸気が上がり、じわじわと熱気が身体を包みこもうとしている。 「落ち着け、ここで本気で喧嘩する気?」
「では仮初の喧嘩をしてたと」
リーが口を挟む。
「ここ最近の連中もか?」
「最近? 他は知らないよ」
とぼけた声で応じるファナテにリーの眉間の皺は深まるばかりだった。
「騒がしいのは大嫌いだ」
「でも、こうしないと貴方は出てきてくれないだろう。前はちゃんと礼を尽くして訪問したけれど門前払いを食った」
「悪いが知ったことではない」
「あー騒いだのは謝ります、謝る。でもスクウの言う通り、こうでもしないとそちら様は出てきてくれなかったじゃん。今日だって最初はちゃんとやったつもりでぇ」
「つもり?」
リーはまた厳しい声で呟く。カフはその後ろでそわそわしていた。思わず、
「ところでリーに何の用があったの?」
嘴を入れた。
「だから誰?」
スクイが尖った氷柱のような瞳をカフに遣った。慌ててファナテが身体を入れた。
「やめろ。誰だっていいだろう。用件、大事なの用件!」
「……わかってますよ」
苦虫を食い潰したような顔でスクイはリーに向き直った。さきほどのカフに対した眼差しと違い、射抜くような鋭さそのままに真剣な面差しで、
「引きこもった馬鹿王を起こして欲しい」
「嫌だ」
即答だった。
「はあ!?」
ファナテが大口を開けて、息を思いっきり吐いたがすぐに何かを察したのか、身構えた、逆上するのではないかと恐る恐るスクイを見遣る。いらぬ心配だったかスクイは淡々をしていた。怒るよりもその表情は遠く、青くなっているようにもとれる。
「そこをどうか考えてくれません?」
「起こすって俺に何して欲しいんだ? お前、あいつの息子だろう」
「だったらなんですか」
声低く、世話なく呟く。
「今回はまあ変則的なところはあるが、正面切って来たことは褒めてやる。でもそれはそれ。癇癪起こすたびにそれとなく誰かを遣すのやめてくれ。自分等で解決するようにしろ。俺は無関係だ」
「親父が負けた相手は貴方しかいないんだ」
「いいか、お前の親父はこの国で一番強い」
「それはそうだが」
「王が誰かに負けたとか軽々しく口にするな、色んなことに障る」
この国で頂点に立つ王が誰それに負けたなどといえば差支えが出る。この国で一番強いものが王座に座るのだから。強い者についていくのが竜人の性質なのだ。
「あんまりこいつをいじめないでくれ」
「ファナテは余計なこというな」
リーは重い息を長く吐いた。
「お前らが無駄に怖がって距離置くから拗ねてグレてるんだよ。ちゃんと話出来るだろう。スクイだったか、一度、帰ってちゃんと顔を合わせて話し合いしてみろ。それでも解決しなかった、来い。俺が殴られに行く」
「ほんとに?」
「ああ」
「約束してくれる?」
「約束する。だからやってみろ」





あの二人はとりあえず帰ってもらったリーは深く息を吐いた。スクイは最後の最後まで不服そうでリーを物言いたげにねめつけていたが。その瞳はまさしくリーのよく知る彼とうり二つで紛れもなく父子なのだとしみじみ思うとともに厄介事となる前に手を打てそうではあったな、と密にリーは首肯した。それから、もう有耶無耶にしていらない刻が、身の振り方を考えねばならぬ予感がして沈鬱な面を作った。
 温かい薬湯茶の入ったマグカップをカフは両手で抱えて、またソファを占領していた。リーも愛用のマグカップで乳入りの茶をフーフーしながら数口に運んだ。
「これ美味しいね」
カフはゴクゴクとお茶を飲み干すと、空になったカップを横に倒した状態で膝に置いた。姿勢を正して、口を開いた。
「あーあのね、昼に話したことあるじゃん。リーは王様にならないのってやつ」
そろそろと膝のカップに入るトカゲを確認するリー。チロチロと可愛らしい舌でお残りを頂いている。
「悪かった。ごめんね」
「どうした?」
「んーなんとなくあの後考えててね。そういうことうんざりするほど言われての知ってるのにさーあんなことあったのもみんな知ってるのに、俺が言っちゃうかなーって――」
グチグチと段々言葉は尻すぼみカフの独り言ちのようになっていく。
「でね。リーはさあ……」
なんだ来るのか――リーは身構えた。
「聞いてるの?」
返事の代わりに深いため息を。
「ここらでデザート欲しいと思わない?」





翌朝も彼は何食わぬ顔でリーが用意した飯をたいらげてから去っていった。前と打って変わってうららか日和だった。

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